美しく食べること、その場の神聖さ

食べられればなんでもいい

それは非常時の在り方

非常時には生きること、生き延びることが最優先課題であり
それゆえに人は迷わない

 

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しかし今は常時である。

非常時ではない。

とすればなぜ食らうのか?
生きるために生き物を食らう。

美しさは必要か?

美しさは単純な見た目では有り得ない

形而下の営みに染まりきった我々には
美しさは見た目の問題と考える

しかし本来はそうではない。

美しくなければ神が宿らないのである。

いや、宿っている神々とコミュニケーションが取りづらいといったほうがいい。

どんな状態でも本来はコミュニケーションが取れるのが当たり前だった。
しかし、今現代に生きる我々は、そのコミュニケーション能力をほとんど失ってしまった。

唯一取りやすいのが
美しさの世界。

それは形や色だけでなく
音や香りもそうである。

そして食事も。

美しくいただくこと

美しく食べよう。

美味しくいただこう。

美味しくいただくこと
目で、鼻で、時には音も一緒に
味わうことを通していただこう。

その時、あなたの場所は神聖な時空間として在る。

この世界、この現代に
神聖な場を俗人の世界につなぐ。

食はただ空腹を満たすだけでない。
あなたの中の神性との対話ができる貴重な時でもある。

そしてそんな空間にあなたはすでに居るのです。

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