合理的にパフォーマンスを追求しても頭打ちになる?

ハイパフォーマンスを求める人にとって無駄というものは許せないもの。

 

その無駄を削ぎ落としていくことで、合理的に機能的になっていく。

残されたシンプルなものは間違いなく機能美の塊になれるだろう。

 

 

もちろんある一定のレベルまで行けるのだが、、、

しかしながら、残念なことにそれでは頭打ちになってしまう。

 

 

 

 

無用のものに無駄なものに

 

 

例えばハイパフォーマンスを追い求めるのに
瞑想というまったく動かない時間が必要だろうか?

 

もちろん、そこでのリフレッシュが
その後のパフォーマンスに好影響を与えることはある。

今まで思いもしなかったアイデアが降ってくることもある。

 

でもそれでも、直接的なつながりを解明できるわけではない。
たまたま、、、偶然に、、、閃いたのかもしれないし。

 

 

無駄なものをどれだけ生活に取り込むか

 

 

例えばあなたの生活空間をモノで満たしてしまうのは
ある意味機能的である。

その空間を有効利用しているからだ。

 

でも、その生活空間から余計なモノたちを処分して
モノが少ない空間になったらその場所は極めて無駄な空間だらけになる。

壁に収納できるのに、ガラガラなのだ。
本棚もあるのにほとんど本が置いてないのだ。

 

でも、そんな余白がヒトを作っている。

 

あなたの人生もより高度なレベルを目指すなら
余分なモノは処分していくのがいい。

 

集中できる空間
神聖な空間はほとんど余分なものでできている。

余分な、無駄な空間があなたの
パフォーマンスを上げてくれるだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です