僕らの世界は確かに人間に使いやすいように
切り取って使っている。
人間のルールが通用するように
ある種の結界を張っているような感じ。
だから、物理法則だけが
うまく作用するんでしょうしね。
昔々、漢字の生まれなんて超呪術的で面白いですが
いつの日か、そこから神々の世界との
コミュニケーションツールとしての要素は消えて
普段使いのコミュニケーションツールになっちゃいました。
神々の世界と線引きをして人間の世界だけにしたというか。
とはいえ、土地には祠や神木があり、
今も形だけは神棚が家の中にあったり。
でも、思うんです。
せっかく使えるなら、一緒に楽しんだほうがいいんじゃないか?
神々も一緒に暮らしをたのしんだほうが
いいに決まっている。
いないとか否定しても
なんらかの形であなたに知らせを持ってくるだろうし。
それは病気という形をとったり事故であったり。
否定していたら、きっと不遇と思うしかない。
でも、一緒に楽しんでいれば、イベントごとになる。
空間の中には見えてこないかもしれない。
でも、感覚的には日本人ならわかるはず。
その感覚、僕らが失うとそれ以降の人たちは
簡単には獲得できなくなる。
だからこそ、使って欲しい。
その感覚で生きてみて欲しい。
特に世の中の経営者はわかってるはず。
ピンとくるインスピレーションがあって
ビジネスをしている人がほとんどなはず。
インスピレーションやアイデアなくして
ビジネスは存続できないのだから。
だからこそ、その素になる彼らと
一緒にいたほうが、運が良くなるのは当然ではないだろうか?
愉しいに越したことはないので
ぜひ愉しんでください!








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