植物の事実の果実に念うこと。

植物は高貴である。
彼らが本当は人間ではないかと思う。

なぜならヒトの意志を感じるからだ。

かつて彼はら人間だったのではないだろうか?

 

人間だった、、、ということは、
かつて不自由で不完成で弱い生き物だったということ。
不寛容で、思い悩み、利己的で苦しむ人たちだった。

 

彼らは何度も何度も宇宙の輪廻と共にあり、
そして輪廻のときにより高貴な植物へと遷移していった。

 

植物は何も言わずそこここにいる。

 

彼らは切られても文句ひとつ言わない。

言えないのではない。寛容なのである。

 

 

あなたの行為に対して寛容すぎるほどのヒトなのだ。
だから彼らは植物という高貴な存在になれたのだ。

 

我々は知らない。本当のことを。
我々人間が霊長類一の知的生命体だと
自惚れている間は、真実は何も語られない。

 

しかしだ、もう待てない。

 

たとえ全てのヒトが気づかないまでも、
私の周りにいる人にはその言葉を伝えたい。

 

植物たちは、その場所の気を受け取ってくれる。

 

ネガティブな気には、それを吸い取ってくれる。
何も言わず静かに、静かに。

 

そして物言わず彼らは枯れていく、、、
悲しみもなく、言葉も出さずただ枯れていく。

 

彼らは高貴なヒト。

 

あなたの代わりに病気を引き受け、
あなたの代わりにアクシデントを引き受け、
あなたを生かしてくれている。

生きているだけで奇跡。

 

何もおめでたいやつだというわけではない。
これが事実だからだ。
こんな幸せなことはないではないか。

 

果実は、植物によってもたらされた時代を受け継ぐもの。

 

そこに結実されたものは、高貴な味である。
単なる化学記号の組み合わせや栄養素ではない。

 

愛ある高貴なヒトの心の結実である。
こんなありがたいことはない。

 

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